こんにちは。30代の不妊治療シリーズ第4弾です。どこまで続くことになるのか本人もわかりません。
前回記事「30代の不妊治療③ 気をつけていたこと(生活習慣、メンタル編)」では、不妊治療中に生活習慣や夫とのコミュニケーション、SNSとの向き合い方など気をつけていたことを振り返りました。
今回の記事では、フルタイム勤務を続けながら不妊治療を受ける上で職場で気をつけていたこと、キャリアについての考えなどをご紹介します。
自分はどうしたいか、何が一番大切かよく考える
まずはこれ。不妊治療はこれまでの人生でやったことのないタイプの挑戦(ゴールがいつなのかわからない、最終的に引き際を自分で決めないといけない可能性もある)であり、自分としてどう取り組みたいのか、治療以外とのバランスをどうするか、かなり色々と考えました。
わたしの場合、不妊治療を検討し始めた時には既に夫の福岡転勤が決まっており、短期的にも中長期的にも自分のキャリアをどう構築していくかは大きな問題でした。夫婦でも話し合い、我が家では「少なくとも治療を理由に仕事は辞めない」ことを大前提として不妊治療を始めることにしました。
わたしは特段キャリア志向なタイプでもないのですが、それでも仕事を続ける決断をしたのは「不妊治療はいつか必ず終わる」からです。
妊娠に至り治療を卒業することもあれば自分で終わりを決める苦しい結末になることもありますが、50歳60歳まで続けることはほぼありえない。我が家は自費で高度医療にお金をかけて何年も取り組むつもりはなかったので、どれだけ長く時間をかけても40歳になる前には終わる見積もりでした。
一方、子どもができてもできなくても自分の生活は続きます。お金も必要だし、何かしらの生きがいや時間つぶしも必要です。
どんな形であれ不妊治療が終わった時、仕事という自分の生活を支えてくれる存在は間違いなくプラスだと思い、キャリアを諦めてまで不妊治療にのめり込むことはしないと決めました。
実際のところ、不妊治療そのものは体力的にも精神的もつらく、何度もやめたいと思いましたが、仕事を辞めたいとは一度も思いませんでした。わたしの中の天秤がそもそも子どもを得ること<キャリアだったんだろうなとも思います。
不妊治療を隠さず伝える
仕事を続けながら不妊治療を受ける決意が固まったら、近しい上司と業務上迷惑をかけてしまいそうな同僚には隠さず伝えました。
これは職場の理解度などにも大きく左右されそうですが、わたしの場合は東京と福岡を行き来しながら不妊治療を受ける特殊ケースだったので、下手に隠してもいずれどこかで綻びが出ると思い、最初から割とオープンにしていました。
不妊治療を受けていることをオープンにして良かったことは、急な通院や手術等で業務に穴を開けたり在宅勤務に切り替えたりすることに対して毎度言い訳や嘘を考えなくて済んだことです。
不妊治療を受けつつ働くことの一番のボトルネックは、治療の予定が直前まで読めないことです。特にタイミング法と人工授精までのステップの間は、次の通院日がいつになるのか前日までわからないこともしばしばありました。
不妊治療を始めたこと、今後は急な通院が増えてしまうことを始めに説明して上司や同僚の理解を得られたおかげで、自分自身も変な罪悪感を感じずに仕事と治療を両立させることができたと思います。
また、早い段階で治療のことを伝えたことにより、時間などの制約がある中で自分にできる業務に集中したいことや、この取捨選択によって評価や場合によってはポジションが多少下がることはやむを得ないと理解していることなども分かってもらえたので、これが一番よかった点かもしれません。
それまでは(コロナ禍前ということになりますが)常にパスポートを持ち歩き、いつでもビザを取って海外にも飛べるスタンスで働いてきたので、そこは大きな方向転換になってしまいましたが、それも事前に認識をすり合わせておけたのでよかったと思っています。
逆に開示したことによるデメリットを考えてみると、わたしが鈍感で気づかなかっただけで周りが相当に気を使ってくれていた可能性は大いにあり得ます。また、なんとか1年程度の期間で結果が出たから良かったものの、これが2年3年と続くと周りはさらに気を使っただろうし自分も苦しくなってきたかもしれません。
頼れるところは周りに頼る
3つめに、仕事を進める上で頼れるところは周りに頼らせてもらいました。
具体的にお願いしたのは、排卵時期近くの接待会食や出張は外してもらう、通院の日は本来対面でやるべき面談や会議をウェブ開催にしてもらう、などです。
1つめで書いた通り、不妊治療をオープンにして上司と相談できていたからこそできたことなので、やはり変に隠さなくてよかったと思っています。
治療のことを話していない同僚からは最近仕事をセーブしていると思われてたかもなあとは思います・・が、直属の上司や近い同僚とは治療中の自分のスコープや期待役割を事前にしっかり整理できていたおかげで、そこまで悲観的にならずに周りに頼りながら仕事を続けることができました。
これはわたしが30代に入ってから治療を始めた数少ないメリットだったかもしれません。既に職場の関係者とは信頼関係が構築されていたので、迷惑をかけてしまうが仕事は続けたいという意思をしっかり伝え、わかってもらうという健全なコミュニケーションをとることができたと思います。これが新卒入社した直後とか転職してすぐとかだと周りの理解も得にくく、自分もつらかっただろうなと。
ただ、20代前半に仕事の無理をしすぎず早めに妊活を始めていたら不妊治療自体が不要だった可能性もあるので、こればかりは何とも言えないところです。
ただし甘えない
仕事と治療を両立させたい気持ちを伝えた上で職場には融通をきかせてもらいつつ、甘えは禁物と心がけていました。
不妊治療開始後はホルモンバランスの影響か体調の波も大きくなってしまい、治療前の自分のパフォーマンスを常に100%出せたわけではないと自覚していますが、できることは今まで通りやりました。
特に個人作業やメールやTeamsなどテキストベースのやり取りでこと足りる業務は病院からでも対応できるので、そういうところで手は抜かないように気をつけていました。
不妊治療はいつまで続くかわからないこと、逆にうまくいけば次のステップとして産休や育休も取ることを考えると、治療の段階で周囲から疎まれていいことはありません。
頼らせてもらう場面では素直に頼りつつ、必要以上に甘えてしまわないように常に自分で意識して働いていました。
キャリアの方向性をパートナーとも会話する
思春期ど真ん中の高校生の頃、自分はなんて悩み多き人生なんだと感じていたような記憶があるのですが、今思うと10代の悩みはほとんどが自分の努力や考え方でどうにでもなるものだったなあ、と。20代、30代と年を重ねるにつれ、自分の人生に関わる人が増えて悩みがますます複雑になっているのを感じます。大切な人が増えるのは喜ばしくありがたいことでもあるんだけれども・・
キャリアの問題もまさにそうで、わたし個人にとっても大切なものですが、結婚して家族が増える(さらに子どもを迎えようとしている)と、もはや自分だけの問題ではなくなってきました。
仕事はわたしが時間や価値を提供し、対価としての賃金を得るものであり、ここでやり取りされる時間とお金はわたしだけでなく家族にとっても非常に重要な要素です。
夫の転勤が決まった時、一度仕事を辞めることや福岡での転職も頭をよぎりました。一生困らないだけのお金やいつでも社会から必要とされるスキルや才能が自分にあれば、もしかしたらそちらを選んだかもしれません。
ですがわたしは一介のサラリーマンであり、治療を続けるにも子どもを育てるにもお金は必要なこと、一度辞めたら自分の代わりはいくらでもいることはわかっていたので、やはりこのタイミングで今の勤務先を辞めるのは得策ではないという結論に至りました。
夫は最初どちらでもいいよというスタンスでしたが、上記含め色々と話すうちに、やはりわたしが今の勤務先で仕事を続け、それを自分がサポートするのが家族にとってベストという考えになったようです。
実際に治療を受けるのも職場に気を使うのも東京と福岡を行ったり来たりするのもわたしなので、正直しんどかったですが、夫も空港への送り迎え(福岡空港が都心部にあるのは本当に助かりました)やワンコのお世話などできる範囲で動いてくれました。
産休育休の後にキャリアをどう構築していくかはまだあまり考えられておらず、夫の転勤などもあるので夫婦で今後よく話す必要があるなと思っています。
不妊治療中気をつけていたこと まとめ
こうして思い返すと、やはり上司同僚のサポートと夫婦間の協力なくして不妊治療と仕事は両立できなかったと改めて思います。
ただ、これらの外部サポートにも増して、仕事は絶対にやめないという強い気持ちを持ち続けたことが一番大きかったです。
もちろん気持ちだけでどうにかなるものでもなく、休職や退職を選ばざるを得ない方もたくさんいる中で幸運だったしありがたいと思います。
とはいえ夫は今後も転勤が避けられないだろうし、夫婦共に育児をしながらDINKS時代のようながむしゃらな働き方は続けられないし、今後のキャリアについては改めて考えないといけないのですけどね・・
まだまだ悩みは尽きなさそうです。
Sofia