30代の不妊治療ブログ⑤ 一番つらかったこと

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30代 不妊治療 ブログ

こんにちは。「30代の不妊治療ブログ」と称して、妊娠発覚以降いくつか記事を書いてきましたが、一旦今回で締めてみようかなと思っています。

締めのトピックなのに随分と後ろ向きなタイトルになってしまいましたが、じゃあ不妊治療をやって良かったことがあるかと言われたら何一つ思いつかないので、もう仕方ありません。つらかったことやしんどかった思い出を最後までしつこく粘っこく語ってみようと思います。

目次

タイミング法:夫婦のプライベートが苦痛の時間に

以前の治療歴の振り返り記事でも書いた通り、不妊治療の3ステップの中で一番嫌だったのがこのタイミング法です。

タイミング法では夫婦の最もプライベートなところ=性交渉の頻度やタイミングに医療が介入してきます。不妊治療を始めて気がついたのですが、わたしは家族とはいえ夫と恋愛関係を保ちたい気持ちが強かったようで、これが非常に厄介でした。

排卵日前に夫の仕事が立て込んで夜にちょっと疲れた素振りをされると「治療に前向きじゃない」と怒り、ひどい時には「もう女性として愛されてない」と飛躍した考えに取り憑かれて泣き、そんな状態で夫が前向きになれるはずもなく・・という地獄のような悪循環を生みました。それまで自信満々元気溌剌唯我独尊がキーワードだった妻が突然ジェットコースターのような精神状態になり、夫もさぞかし恐ろしく思ったことでしょう。

生理が来て次の周期の通院予約をしなければならなくなると、「担当医は我々がちゃんと性交渉できてるのか疑ってるんじゃないか?セックスレス夫婦と思われてないか?」ととんでもない妄想をしてさらに傷ついてみたり、とてもまともな精神状態ではありませんでした。医師たちはあくまで治療の観点からしか性交渉の有無など気にしないことくらい、冷静になればわかることなのに。

わたしがもう少し事務的というか割り切った気持ちで「治療は治療」と考えることができたら良かったのですが、セックスというトピックに対して自分がいかに繊細か思い知ることになりました。

こればかり言ってますが、タイミング法だけは二度と繰り返したくない。身体的なしんどさではそのあとの体外受精の方がよっぽど大きかったですが、精神的にはタイミング法より嫌だったステップはありません。

うちはうち、よそはよそと思えない

もう30過ぎたいい歳なので、周りの生き方も様々です。子どもが3人いて子育てに専念する友人もいれば、単身で海外に渡り楽しくキャリアを積んでいる友人もいます。それぞれに人生があり、羨ましく思える生活にもその裏に様々な悩みや葛藤があることくらい、少し考えたらわかることです。

わたし自身、周囲が自分より先に結婚しても子どもができても全く意に介さなかったというか、わたしはわたしの人生に集中するのみというスタンスで楽しく生きてこれたタイプでした。妊活や不妊治療が恐ろしいのは、そこに片足を突っ込んだ瞬間から「うちはうち、よそはよそ」な考え方が全くできなくなり、何から何まで他人と比較するようになってしまったことです。

これも今思うと常軌を逸していますが、自分よりも後に結婚した友人の妊娠報告を聞いて落ち込んだり、後輩が婚約したと聞いて先を越されるんじゃないかと焦ったり。授かりものに「先を越される」も何もないのですが、決して若くはない年齢で妊活を始めたこともあり、自分より歳下の女性たちの動向は異常なほど気にしていました。

何より自分のカラッとした性格(自分で言う)が鳴りを潜めてしまったことそのものもつらく、そのうち街で見かける妊婦さんにさえ敵意を向けてしまうんじゃないかと自分で自分が恐ろしいと思ったほどです。

この点、夫は常に飄々としていて、自分が子供を望んでいるにも関わらず周囲の雑音には一切興味を示さずわたしとだけ向き合ってくれたので救われました。夫の友が友人たちは既にほとんどが子持ちだったので、多少なりとも思うところはあったのかもしれませんが、少なくともわたしにそのようなそぶりは見せませんでした。タイミング法の時もそうだったように、妊活や不妊治療に踏み出して以降明らかにちょっとおかしくなった妻にびっくりして相当気を使ってくれていたんだろうとも思います。

「諦めたらできるよ」

不妊治療期間を通じ、つらい瞬間は山ほどありましたが、その中でも未だに引きずっているのが「諦めたらできるよ」と言われたこと。これを言った友人に全く悪意のないことはわかっているのですが、どうしてもこのひと言を(妊娠した今もなお)消化できずにいます。

既に自己流とはいえ色々試してみても妊娠に至らず、周りからはおめでたのニュースが聞こえる中で、自分が「不妊」と認めるだけでも既に相当疲弊していました。そこを乗り越えて医療の力を借りようと夫婦で決めた直後の「諦めたらできる」は本当に、もう・・

あまり気負いすぎないようにとか、不妊治療のことしか考えられなくならないようにとか、意図はなんとなくわかるんですが・・こういう発言をする人に限ってあっさり自然妊娠したか、そもそも妊活も出産も経験ないかどっちかなんだよなあ。

確かに長い治療に疲れたり、いろんな要因でたまたまステップダウン(体外受精から人工授精に切り替える、治療をストップする、など)した周期で妊娠する人も一定数いるみたいです。Twitterで長くフォローしている方の中でもそういうケースを見かけました。

ただこれは「そういうケースは当事者含めた関係者に強く印象が残るので話題になりやすい」というだけで、ステップダウンして妊娠するケースの方が割合的には稀なはず。「諦めた」結果妊娠しなかった場合、それをわざわざ声高に言う人はほぼいません。失敗した対象を見ずに、成功したケースのみを基準に物事を語ってしまう典型的な生存バイアスだと思います。

・・と、こんなことをクドクド言わなくても、そもそも何かを求めて努力している人に「諦めたら叶うよ」と言う奴おかしいでしょ?ガンで闘病している人に言う?プロ選手目指してつらい練習をこなしている人に?

この発言で励まされる人はほぼいないと断言できるので、不妊治療に取り組んでいる人(例えそう言わなくても治療している人や、治療に踏み込んでなくてもなかなか子どもを授かれずに悩んでいる人はたくさんいます)に「諦めたらできるよ」云々はNGと心得てほしい。声を大にして言いたいです。

妊娠判定を手放しに喜べない

これは厳密には治療中のつらかったことではないのですが、不妊治療にメンタルを乗っ取られた結果、いざ妊娠判定が出ても全く素直に喜べず、マタニティ期間も不安ばかりが先行したのはしんどかったです。

「おめでとうございます、陽性です」→「胎嚢確認できるかな、化学流産しないかな」

「しっかり胎嚢ありますね」→「心拍確認できるかな」

「心拍確認できました」→「初期流産しないかな」

「安定期ですね」→「早産にならないかな」

これらのリスクは自然妊娠だろうが体外受精での妊娠だろうが起こりうるもの。ですが、いざ自分が妊娠したと言われてもその次のリスクを考えて常に不安になってしまい、嬉しいとか楽しみとかのポジティブな感情を楽しむことができませんでした。これがいわゆる不妊脳というやつか・・と思いながらも、1年間毎月落ち込んでいたので不幸慣れしていたというか、期待しないことがめちゃくちゃ上手になってしまっていました。実の親にも仲良しの友人たちにもなかなか報告できず、自分はこんなにおめでたいことも素直に喜べないのか・・とまたモヤモヤしました。

結局臨月に入ってもなお無事に生まれてきてくれるかという心配の方が大きく、直接会っていない友人たちにはほとんど報告できないままでいます。Twitterの相互さんの方がよっぽどわたしの状況に詳しいかもしれない。無事出産できて健康な我が子をこの目で見るまで、自分自身も手放しで喜べることはないんだろうなあともはや諦めの境地です。

フルタイム勤務との両立

過去記事「30代の不妊治療④ 気をつけていたこと(キャリア編)」でも書いた通り、不妊治療とフルタイム勤務の両立もなかなかにしんどいタスクでした。

世帯年収が今の倍あれば仕事やめて治療に専念したのになあとか、親がポンと治療費を出してくれたらなあとか他力本願極まりないことを思ったりもしました。

それでも不妊治療だけを理由にキャリアを諦めなくて良かったと後で笑えるように、産後落ち着いたら今後のキャリアの方向性をじっくり考えてみようと思っています。

不妊治療中つらかったこと まとめ

改めて不妊治療中のつらかったことをことを洗い出してみましたが、自暴自棄にならずに済んだのは奇跡だな・・という気持ちです。

これだけあれもこれも嫌だつらいと言いながらもなんとか1年耐えられたのは、夫がわたしのことをよく見ていてくれたからだと思っています。先回りして情報収集するとかそういうスパダリには遠く及ばないのんびり屋ですが、わたしが病院選びで悩んでいたら後からでも追いついて自分でも色々調べたり、福岡と東京の2拠点生活をいろんな面から支えてくれたり、Twitterで闇落ちしかけたら引っ張り上げてくれました(過去記事参照)。こんな夫だったからこそ、わたしも「この人となら子育てしてみたい」という気持ちを捨てずに前を向けたのだろうと思います。

初めにも「不妊治療をして良かったことは一つも思いつかない」と書きましたが、子供を授かるということについて夫婦で向き合ってゆっくり覚悟を決めることができたという意味ではいい機会でした。

夫は夫でこれまで見えなかった妻の不安定な部分が見えて恐怖したと思いますが、子どものできる前でよかったね!と開き直っています。いずれにせよ産後はメンタルも不安定になると思うので・・

つらい思い出を細かく挙げると本当にキリがありませんが、ここまでの思いをして授かった我が子なので大切に慈しんで育てたいなと。ルーキー母ちゃんとして心身ともにアップダウンはたくさんあると思うけれど、ほどほどに力を抜いて家族楽しく仲良く生きていけたらなあと思っています。

Sofia

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